ぬるま湯につかる

地方都市に暮らす30代薄給会社員の株やら暮らしのちょっとした記録

2022.07.13の記録

あの事件から数日、テレビやインターネットで情報が流れてくるたびに、喪失感がじわじわとくる。

家族でも友人でもない、実際に手を降ったのは一度だけ。

それなのにこの感情、思っている以上に衝撃が大きかったのかも。

なんのつながりもない私ですらこんな気持ちなのだから、ご遺族や関係の深かった方々の哀しみは計り知れない。

 

職場の近くに献花台が設けられていることを知り、お昼休みにその場へ向かった。

報道で見た奈良や東京の献花台より、ひっそり、しんとしていた。

まあ、ここは田舎街だから。

でも、手向けられた花束と芳名帳から、想像以上に多くの人が訪れ、故人を悼んでいることはわかる。

献花台の写真に写っているこの人はもうこの世にいないんだと思った。なんだか信じられなくて。

ビルを出た後、白い花束を持った女性とすれ違った。きっとあの女性もそうなのかなと思いつつ。

 

インターネットで読んだ、頬擦りしてお別れという記事や弔辞の言葉に胸が痛くなる。

いつも私を守ってくれましたって、泣いてしまう。

 

信じたいものを信じるのが人だから、いろんな意見があるのでしょうが、故人やその配偶者を小馬鹿にする発言が見えてしまうと、なんだかなぁという気持ちになる。

あのように他人の手で理不尽な最期となったことを悼み、悲しくなるのは、当たり前の感情ではないのだろうか。

政治や思想はひとまず横に置き。

 

ワールドワイドウェブには、それ、無粋すぎません?とか、下品すぎません?と、思う言葉がちらほら。もちろんオールドメディアは無論。

それは今に始まったことではないけれど。

 

そんな言葉たちを読んだり聞いたりして、私が今感じている気持ちは、忘れない人間でいたい。